U
下校時間30分前なのでホームルーム教室が並ぶこの棟は見渡す限り人は居らず静かだった。
窓から入る夕日が、心地よく綺麗だ。 1年D組の教室に入って右から二列目、前から三番目の座席に、それはあるはず。 「あった、あった」 机から引きずり出した分厚い本を満腹状態の鞄に無理やりしまい、ぎゅうぎゅうと悲鳴をあげているそれを手に、急ぎ足で教室を出た。 そう、出た。出ただけだった。なのに、何で。 「やめてくれ!俺はまだ死にたくない!」 こんなところを 「わあああああああああああああ!」 ―――――見てしまったのだろう。 市島小十郎は、友達が少なかった。だけど、クラスに2人は確実にいた。 一人は伏日和。 幼稚園からの幼馴染。 ロングでウェーブのかかった茶髪の少女。 いつも明るくて、クラスの女子でもおしゃれな方。 友達も多く、俺とは対照的な存在。・・にも関わらず、彼女は俺に対して、度々何かしらと首を突っ込んでくる。 それが彼女の長所なのだが。 もう一人は倉林健太。 坊主がお約束の野球少年。 呆れるほど馬鹿が付くお人好しで、困っている人を見ると、助けずにはいられないという。 その『困っている人』というのが、その時の俺だったのだろう。 まだ入学したてだった頃、友達づくりで賑わうクラスの隅っこで一人静かに新聞を読んでいた。 芸能面を読み終わろうとしていた時、いきなり正面からものすごい勢いで「友達になろう」と言って、そいつは俺の前に現れた。 「友達になろう」という如何にも小学校低学年のお決まり台詞で、本当の友情が成り立つのだろうか。最初はそう思っていた。 それが、意外と出来た。 簡単だった。 コツも法則もない世界がそこにはあった。 ずっと他人が笑うのを不快に思っていたけれど、あいつが笑うと、不思議と嫌な気分にはならなかった。 逆に、こっちが嬉しくなった。 そう、高校生になって初めての友達だった。 なのに どうして こんな 血ノ海デ 今ここで 死ンデイルンダ? 廊下の突き当りだった。 窓から入る夕日が心地よく綺麗な、その向こう側。 そこには、彼と、もう一人。 何ともない顔で立っていた。 一番目につく特徴といえば、包帯で綱のように硬くぐるぐる巻いて一つにまとめた長い黒髪だ。 ブレザーの前ボタンが全開で、ブラウスも第二ボタンまで外していて、校則で定められているリボンも付けてない。 その乱れた制服の着付けは決して良いとはいえないだろう。 いつも教室の窓際の片隅で誰とも話さず着席していている。 何処を見ているのか分からない目線。 不思議な雰囲気の持ち主。 人を遠ざけたがる俺を差し置いて、クラスの誰もが思っただろう。 近寄りがたい少女だと。 事実、俺は彼女と一言も言葉を交わしたことがない。 二階堂剣(にかいどうつるぎ)。 同じクラスメイト。 ただそれだけ。 ああ、何だろう、この状況は、 倉林が死んでいて、二階堂がその場に立っている。 そしてまがりもなく、彼女の手には、凶器に使われたであろう血みどろの木刀が握りしめられていた。 彼女がやったのか?だとしたら、 ・・・・次は俺が、 殺される、殺される、殺される、殺される、殺される、殺される、殺される、殺される、殺される、殺される、殺される、 これが、人間が生まれながらに持つ条件反射というものなのだろうか。 気づくと校舎の出口に向かって走っていた。 何も考えている暇はなくて、ただ俺が生き延びたいがために、彼女がいる反対側のルートを使って、ひたすら走り続けた。 「わぁ!」 「うわっ!」 ぶつかりそうになって、足に急ブレーキをかける。 何とか間に合ったが、息切れと流れる汗は止めようと思っても止まらなかった。 彼女は突然猛スピードで走ってきた勢いに後ずさり、それが俺だということに気づくと目を丸くした。 「ひ、より・・」 「こ、小十郎?どうしたの?」 「今さっき二階堂が!」 木刀で倉林を殺したんだ! 「私が何か?市島君」 言う暇を彼女は与えてくれなかった。 最初から与える気なんてないだろうけども。 俺は、予想外に早すぎる彼女の登場に、恐怖で言葉を失うことしかできなかった。 聞こえるのは、自分の荒れた息だけ。 そんな数秒の沈黙の後、話を切りだしたのは日和だった。 「あ、あのさぁ、私、小十郎に伝えないといけないって思って、戻ってきたの。携帯で連絡網回ってきて。小十郎携帯持ってないし、丁度、連絡先知らなかった二階堂さんもいるし、二人とも、聞いてね」 と一息吸って、 「倉林君、交通事故で亡くなったって。さっき病院に運ばれて息をひきとったらしいの・・」 「・・・・・・・・・、え?」 交通事故?病院?何だよ、それ。 だってさっき、廊下で俺は倉林を見たんだぞ? ちゃんと顔もしっかり。 見たくなかったけど。 思い出したくもないけれど。 でも、脳裏に焼きついて、離れないワンカット。 おそらくやられたのは胸の辺り。 胸が裂けているということは、斬られたということだが、彼女が持っていたのは木刀。 撲殺の可能性の方が高い。 少し距離があったから、どちらかが俺の見間違いかもしれない。 でもこれだけは確信を持って言える。 倉林が死んでいて、その場所に、驚くでも呆然とするでもなく、平然として、二階堂は立っていたのだ。 必ず彼女は倉林を、殺した。 「伏さん、お葬式は明日?」 何事もなかったかのように、彼女は問う。 いつも教室で見る冷静な表情。 何かを考えているような、逆に、何も考えていないような。 「う、うん。9時に、近くの式場で始まるらしいから。また家にも連絡いくと思う」 さっきから二階堂への不信感で頭がいっぱいで、全く気づかなかったが、日和も普通の状態じゃなかった。 いつもよく喋る奴が、必ず第一声を噛んでいる。 丸い目も直らない。 全体的に落ち着きのない感じだった。 今までこんな日和の姿を俺は見たことがない。 そんな戸惑った状態で、あとで家に連絡がいくのを知っていたのに、それでも俺に伝えるためだけに追いかけてきたのか。 「そう、じゃあ私はこれで。また明日。伏さん、市島君」 ――話したら許さないから。そう続くのではないかと、俺は錯覚してしまった。 びくりと体が反応したのを悟られただろうか。 それよりも今、彼女が帰宅してくれることに俺は安堵していた。 そして、彼女の後ろ姿が校門から見えなくなった途端、彼女が縛り付けていた細い、でもたくさん絡みついていた糸がプチプチプチと音を立てて切れた。 恐怖の後は、怒りがこみ上げてくるだけだった。 二階堂は学び舎から立ち去ったが、その後まっすぐ帰宅してくれるとも構わない。 犯人は事件現場に戻るともいう。 念のために日和に付き添いを頼んで倉林が殺された現場を見た。 だけどそこには倉林も、たくさん飛び散った血も、何もなかった。 夕日ももう暮れていて、青白い電気の光で映し出される廊下だけ不気味なほど殺風景だった。 日和は不思議そうに俺を黙って見ていたけど、俺は何も話せない。 話したら、彼女は信じてくれるのだろうか。 いや、もし彼女が信じたとしても事態は何も変わらない。 きっと警察に話しても頭がおかしくなった奴と思われるだけ。 もしかすると、最近起こっている連続自殺事件にも関連しているかもしれない。 結果的には無駄に彼女を巻き込んでしまうだけだろう。 俺は黙ったまま、一人で脳内確認する。 確かにあの時、倉林は居た。 いや、あった。あそこには確かに、倉林の身体があったのだ。 それが、場所の違う道路で車に轢かれ、病院で死んでいた。 有り得ない。 だったらあれは、俺の幻覚だっていうのか?それとも、 二階堂剣のマジックか。 |